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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

文学・芸術・アニメは社会と隔絶された存在か?

映画の話

正直言って、こんなバカバカしい議論を今更したくないんだけど、どうも世の中の8割ぐらいの人は「作り話は作り話と割り切ってみる。話が矛盾していようがなんだろうが、それを批評するのは価値観の問題」という人達らしいので、それに反発すべくこの記事を書く事にしました。

記事の内容

  1. 結論から言うとNo!
  2. 文筆家を最も侮辱する行為を連発する豚達
  3. 女性が仕事のできるというイメージの理由
  1. あらゆる創作物は時代を映す鏡

色々な理由の付け方があるでしょうが、この結論だけは揺るがないでしょう。色々と視点はあると思いますが、作り手の方からご覧頂きましょうかね。

なんでもそうですけど、創作って全部が楽しいわけじゃないんですよね。長いもの書こうとあれこれ試行錯誤したことがある人はわかると思いますが、構想を練っている時と違って、それを誰が見てもわかる形に落とし込んでいく作業、思いつきではなくわかるようにまとめていく作業というのは決して楽なものではありません。
それは書物に限らず、映像や、絵もそうでしょう。映像・写真なんて分野は典型的で、好き勝手に撮っているときは楽しいのですが、見せるもの・見せないものを選んだり、編集する作業は決して楽な作業とも言い切れません。題材や、テーマによっては同じような画像を見続ける羽目になることだってありますから、それが創造的か楽しいかと言われると全員がYesと言えるような華やかな作業ではないでしょう。

そんな中でも創作をする人というのは訴えたいことがあったり、自分の持っているものを誰かに見てもらいたかったりと言う事を強く願っている連中です。

そして、そういう連中は9割くらい自分の身の回りにある人・もの・創作物をアイデアに使うため、どうしてもその最近の話やネタが反映される。趣味で、歴史や異国のモノを反映しようとする人がいるがそれだって現在の我々から見た価値観が反映されている。
当時の人達とは全く違う目線になる話であることが大前提になる。(見たことのない人物、架空の存在を創作する以上は筆者のその人物への独自の解釈が入るのは当然至極であり、それがなくすべての描写が正確である方が怖い。)

その「目線」こそが「時代」である。アニメにせよ、文学にせよそれを検証する存在がいて、支持されているということはその「時代」を細かく解析する存在だからだ。

「アニメは所詮作り話なんだから、設定の矛盾があろうが、萌えしかみない視聴者概要がそんなものは価値観だ( ー`дー´)キリッ」

よくもまぁ、そんな恥ずかしいことを複数の人が俺のブログで恥ずかしいことをかけましたね。文学部全面否定ですよ。(まぁ、私も文学部不要論者ですけどね。)
ただし、彼らと違って文学部が存在する理由と何をやっているかぐらいは説明できる。それを踏まえても必要ない存在だと言い切る理由は、作品の解釈なんてのは個々の人間が自分の持てる知識と情報収集能力を駆使してやればいいぐらいの話だからですよ。保存する人と、トップの研究者に専門性を求めるのはわかるが、ここの文学が云々語る人がそれぞれに学者が存在するのはやりすぎだし、大学の講義を「個人の趣味」に堕落させているのはそういう教授連中だ。専門性が低い、趣味でやっているとしか思えないレベルの文学部が日本中の大学にある事に私は納得がいかないから「文学部なんぞというものはごく一握りでいいのでは?」と言っている。

…話を元に戻すと、ここの作品を読んで解釈してという国語何かでやる作業は映画やアニメでもやっている人はいるし、人気のある人がそれについて語っている出版物を楽しみに待っている人がいる。その理由は「あらゆる分野の作家達が作った創作物が時代を映す鏡であり、そこに移された姿を鮮明に書き出して基準を与える存在こそが評論家」であるためだ。その一連の流れを考えれば、創作物の中に矛盾した設定の数々を堀当てれば、それを指摘する事についてわるいと言われる筋合いなんぞない。

むしろ、そういう設定に目をつむってお世辞としか言いようのない事を言う連中の方がクリエイターを侮辱している。

  • 豚共が「文化」を「娯楽」へと堕落させる。

結論だけ経済屋さんっぽい言い方をすると、
それぞれの合理性ばかりを追求し、生じた合理の誤謬を調整しないままに、市場が流されていけば、企業自身が消費者が作ったルールに媚び諂う形となり「市場の失敗」が生じる【お客様第一主義】【市場万能主義】とは供給者・消費者が正しい知識・道徳を持って消費活動を行う事が前提とされており、その前提が壊れたところに「自由」だ「規制緩和」だ言ったところで、それらは犬の餌ほどの価値もない。」

…ここまでで僕の言いたいことがわかった人はすごい。だけど、これは文学・サブカルの話だから、わからなくて結構。(むしろ、わかると話が終わっちゃうから知らないふりして。)

私の言い方をさせてもらえば
「【アニメだから、設定がツッコミどころ満載でもいい】【モラルが崩壊していようとそれはお話の世界だからいい】【キャラ(映画だったら女優)が可愛かったらそれでいい】という人こそが、文筆家・脚本家・役者を最も侮辱している人種である。」

無礼千万とはこのことを言うのだ!先程も言うとおり、その時代に、身の回りのあらゆる人・モノに影響されて創作する人間が作ったものは時代を投影している。
もし、太平洋戦争がなかったら、太宰治が「斜陽」を書く事もなかっただろう?堕落論・黒い雨なども戦争がなかったら生まれるはずがない文学だった。(人間失格の前にある斜陽という作品が何を物語っているか真剣に考えたことがあるヤツなら間違いなく文学×時代・世相というものを意識するはずだが、どうやら私が論じたあるアニメの視聴者には敷居が高すぎたようだ。)
後世の人はそれらを読んでその時代のことを知るわけだ。
アニメだっていい。ジブリ作品で言えば、作品のテーマ性だけじゃなくて、モチーフだって監督宮崎駿さんの見たものが投影されていることは至極有名な話だ。関東周辺の郊外部分に宮崎アニメの舞台が集中している話なんぞ、あんたらアニメオタクが一番詳しいはずじゃないのかい?当然私だって知っている。いや、ジブリのファンはオタクじゃなくてもいるのだから、割と有名な話だ。

これは別に絵画でも音楽でもなんでもいいんだけど、そこに込められた世相やメッセージ性を真面目に読み解かないような読者・視聴者の類が市民権を得ていることに私は反吐が出る。ああ、反吐だ!そうだ、反吐が出るのだ!

創作物を娯楽だとあしらい、冗談のように扱う愚物共が最も作者を侮辱しているという愚に気づかない事ほど程度の低い話を私は聞いたことがない

そして、そういう連中が経済の力を持って「これがいい」「あれがいい」と投票をすることは甚だ不愉快でかつ、市場の失敗を招く。アニメ・文学を娯楽だと割り切る連中に製作者の高度な工夫や職人技が理解できてたまるか!と狼狽した次に、「金を使うという行為がいつからそうまでに軽々しくなったのだ」と嘲笑するよ。そうだとも、笑止千万なのだよ!
経済と政治は実はすごく似ている。無自覚に参画しているのに、それを常に硬いことのように考えられているさまを見ると何が違うのかがよくわからなくなるほどだ。…大きく違うのは為政者・役人になるものは限られているのが政治だが、自らが商売を成り立たせるためには誰かしらの支持を得ないといけないという為政者・役人の立場に経済なら誰もがなるというところが違う。

話を戻そうか。

私と5割ぐらい意見が被る著名人に古谷経衡さんというブロガーさんがいらっしゃいますが、この人の記事の中に「ガラパゴス化する日本と萌えアニメ」という記事があります。その記事の中で金額や海外のアニメファンからの投票などのデータを引用し「萌えアニメが輸出産業なんて大嘘であり、普遍的価値に言及できていないアニメは海外では相手にされない」と述べています。

…実際、ここ最近は身内ネタが多く、そういう話題から逃げ腰なアニメが多く、視聴者も
「それでいいじゃないか。面白いんだから」(いや、そもそも面白くねーからツッコミが入るんだろうが!!)
という始末の所を見ていると、日本の場合「栄誉ある孤立」というガラパゴス化ではなく、「島国にひきこもってほかと関わりを持ちたくない」というガラパゴス化なのではないか?と問いただしたくなりますね。

栄誉ある孤立ならば私は大歓迎ですし、それこそが理想だと思いますが、引きこもりの精神性でガラパゴス化するならそんなのはお断りだ!!

  • 戦うアニメを好む女性達

これは私も上で取り上げた古谷さんもそうなのですが、「萌えしかないアニメ」「萌えだけで他の普遍的な価値観と同じぐらいの市民権を持てる」と思い上がった連中を批判しているのであって最近の作品全部がダメという懐古主義者では決してありませんし、代案をもたない批評家でもございません。

あらゆる創作物が世相を反映しているということお話してきたので、最近のアニメを分析していこうと思います。僕が熱心に好きなアニメ以外もチェックするようになったのはここ4.5年の事ですが、常にアニメは大別すると2種類のアニメに分類されて双方でヒット作が生まれてきたと思います。

大きな障壁と戦うアニメと戦わないアニメです。

グレンラガンの向こうにらきすたがいて、けいおんの向こうには東のエデンがいて、タイガー&バニーの向こうにはゆるゆりが居て…ここまで書いて気づくかと思うのですが、実は腐女子にヒットした作品の方がここ最近は普遍的なテーマに触れたアニメが多い。

全部が全部とは言わないけど、メインに強いBL色が来て、本編が山なし、落無し、意味なし、設定がぐちゃぐちゃになっている作品というとリボーンとヘタリアぐらいしか思いつきません。(テニプリは男のファンだっていて、ツイストサーブを実際に教えてくれるテニススクールなんてのが乱立しましたし、おおきく振りかぶっても野球経験者が読んでもちゃんと野球やってます。)

男の方だって、まどかマギカ・ミルキィホームズみたいにちゃんとしたストーリー性がある作品一方で、ここ最近は日常系作品がすごく強い。というよりも、そればっかりだ。男性側で、社会派だの、熱血(ロボット)アニメだのは「中ニ」だの「セカイ系」だのと半ばバカにしたような言い方で見る傾向があるが、私から言わせればブタの餌のようなアニメの方がずっと馬鹿にするに値する。

私だって萌えが入った作品で好きなのありますよ?でも、萌えってのは普遍性の延長線にある「キャラが好きになる」って心情の事なのに、いつからか可愛いの代替語になったから話がおかしいのですよ!!あるいは「キャラが好きだ」って思えるシーンを多くはさむアニメだとしても、ヒットする作品・昔から人気のある作品は何かしらの本編があって、その中でキャラがかわいいというモノがほとんどで、そのキャラが可愛いだけで他になんの側面もないアニメを見ていると胃もたれする。

もう、何が言いたいかわかっていると思いますけど、女性向けの同人誌のお題になるような作品の方が、作品のレベルが高いため、読み手・書き手がモノを考えるんですよね。作品に込められたメッセージ性に共感するから「愛」だの「共感」だのという話になるのですが、熱血や社会派に共感する女性が増えたというのは女性の肉食化(生活や現実の空間に対して積極的に取り組もうとする様)の表れじゃないですか?

私は人事のアウトソーシング企業の社長と対談した際に「今は女性のほうが優秀だ」とする意見に未だに反対していますが、そう「見える」理由がわかりましたよ。…関心があるんですよ。女性の方が仕事や出世に対してあるんですよ。(采配の問題なんですよね。慎重で欲が少ない半面で、仕事にネガティブなイメージを持つ男性にだって使い方さえ見い出せば、面白い事はできるのです。だけど、それを考えないからガツガツと仕事をこなす・キャリアアップを望む女性に話が行くようになる。)

女子力があって、男子力がない理由もそうですし、メンズ限定のサービスがない理由なんか考えても同じところにたどり着くのですよ。女性の方が自分で何かを動かそう、何かへ動こうという能動的な思考が最近は強いため、それがマーケティング戦略何かにも反映されてくる。(「あ、騙しやすく、直情的な連中がいる」という意味合いも含みますけどね。)

アドルフ・ヒトラーの時代から「男みたいな女、女みたいな男」の時代というのはヒトラー自身が予言していたのですが、65年後の世界というのは彼らの好む作品を見て、変わりきったアニメの中のヒロイン像・主役像を見れば、如何に男女のポジションが変わったかがよくわかります。(ファースト・ガンダム見れば、驚きますよ。今、こんなに男たくましくないッスよ。戦前生まれの家庭に遊びに行ってみてくださいよ。男の亭主関白振りに驚愕しますから。)

趣味の問題なんて高尚なことを言う人はきっと僕の記事を読んでもこじつけだと言いたがるのでしょう。しかし、傾向としてこれは現れている。人気の作品や、放送されたアニメの中で人気のものを年表ごとに書き出して視聴してみればここ数年の社会の傾向がつかめますよ。

私が冒頭で「このテーマを今更やりたくない」と言ったのはロジックとかそういうもの以前の問題だからです。常識で供給者や消費者の性質について考えれば、共有できるような凡庸かつ無難な結論にしかたどり着かないのです。だけど、それにすら気づかない人がいるのですよ

  • おまけ、アニメより先を行くもの。

実写ドラマ・アニメの原作となっているものを読めばさらに時代が読めます。ライトノベル・マンガ・エロゲー…それらがどこへ向かっているか読んで論評すればもっと先の時代が読める。

その傾向は…おっと。ここからは自分で確かめてください。私から言えることは「やまない雨はない」って事です。

私の経済屋さんとしての哲学は
「消費と実践に勝る学びなし。」
です。ブログを持って収入を得ようと大真面目に記事を書き始めてから確実に知識は増えました。(金儲けだけのためにやろうと言う人は確かに卑しいが、カネをもらう事で何かを与えようという人のことを私は卑しいと罵る気はないし、私自身がそうありたいと思っている。)

1年前に私が思っているよりも世の中は腹黒くて、愚かで、無自覚です。でも、その反対側に私のように志を持って「世の中を変えたいんだ、良くしたいんだ」という人が寄せ集めではあるけど、少しづつ団結しつつある。
何か変えたいと望む人達はお金では動かない。だから、莫大なお金を持っている人は少ないけど、ピリリと辛いカリスマ性を各々の形で持っている。人を惹きつけるような資質を、人を助けようとする優しさを、数値化できない新しい未来を。

それが描かれた創作物の存在を目の当たりにして、世の中が良くなっていくことを私は願うばかりです。

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私が自分のブログを書いているときの心情に近かったので、これを貼ろうと思います。

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