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かくいう私も青二才でね

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アニメ評論するよん♪【日常】1‐26話総括編


昨日の硬派な記事が書いているときに試行錯誤しすぎて「こんな長い記事読まんだろうなぁ」と思うので、もうちょっとポップな話題にしようと思います。

日常というアニメが最終回を迎えたので、私なりにその総括をしたいと思います。

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記事の内容

  1. コンセプトが絞りきれなかったアニメ
  2. 「常勝」京アニの方程式の正体
  3. アニメ業界の悪いところが出てしまった作品色々
  • 前半と後半の評価がめちゃくちゃ違うアニメ

京アニ式の型にハマりすぎた前半部分(〜15話位まで)と、原作を9割方踏襲しつつも独自のアレンジも加えて人気を出した後半部分ではアニメとして根本的に異なる点がいくつかある。

前半部分については拙著「アニメ評論【日常】〜カワイイと萌えの違いが生み出した失敗〜 」で書いたようにキャラクターを掘り下げるのではなく、表面的な可愛さを強調するだけになってしまって作品としての深みがなかった。(から何が面白いかわからない作品になってしまった。)
DVDについても売れず、後半になって原作を遵守し、時間稼ぎのじゃんけんやカメラなどについても取り除かれたため、面白くなっていったため、後半まで見た人からは「なんで日常はあんなに面白いのに、失敗と言われたの?」と言われることが多くなった。

アニメとして悪かったという事ではなく日常という作品が独特すぎて売り方についてもっと考えられるべきだったのだ。アニメとしての絵・演出は非常に挑戦的かつ凝っていたものが多かっただけにヒットしない理由が非常に気になった人が多かったのだが、前半部分で「アニメ化作品として向かないなぁ」と原作ファンの一人として確信する部分があったため、売れないことが必然に感じた。

というのも日常というのはキャラクターではなく、ギャグとそのギャグのための役割分担が重視されて性格や行動原則が書かれている作品なので、他のアニメ化作品みたいに時間が進むに連れて学年が上がったり、キャラの悲しい過去が明らかになるという話がほとんどない。
そのため京アニ作品らしくキャラクターを掘り下げて感動のシーンを作っていくということができない。後半に取ってつけたような簡単な感動なシーンを付けるようになったのだが、+前半部分はそういう伏線のために機能することなく全く別物のように分離してしまった。

後半に湿っぽく話を盛り上げていく前の余った尺が前半に集まってしまったため、濁って浮いた前半部分は原作のギャグが7,8割の作品から萌え絵をゴリ押しするアニメになってしまった。

ハルヒ及びKey作品はちょっと事情が異なってくるところがありますが、上記の三作品はすごく似ている部分が多い。本当は日常が濁って浮かないといけないのだが、本当は三作品を同系統にしようとしたのかなぁ…と感じられる軌跡は所々から感じることができる。

原作では「なの」がいないシーン、出番がないシーンになのを出演させて他の作品同様に「四人ヒロイン制」を敷いたり、登場人物の性格や映す割合だったり、オープニングをざわと歌いにくい電波ソングを当てたり、京アニ御用達の声優をところどころで脇を固めてみたり…。似ているなぁ、似せてるなぁと感じるシーンや演出や制作方針は多い。

しかし、日常は先程に言ったとおり学年が上がることも後輩がいるというわけでもないため、どことなく間延びしてしまう。相関図としても一つにまとまるらき☆すたけいおん!と異なり日常は違う話が並列している感じ…例えるなら、街のいたるところにカメラを仕掛けて、面白いところだけ編集し直して漫画化している感じです。だから、主人公3人が全然知らないモブキャラがいっぱい出てくる。(しかも、台詞がある)

うまく料理した反面で、新しい京アニ作品像が見いだせない感じがそこかしこで見られたと僕は思う。似ている傾向こそあるが、調理する原作と自分たちがもっている演出手法を改良しながらいつも楽しみに京アニ作品を見るというあの楽しみが乏しく感じる。
らきすたぐらいの時から薄々思っていたことだが、やっぱり過去に作ったノウハウの上にあぐらを書いてしまうんだなぁ…って感じる部分が作品がうまくいかないとき、空振りした演出が多い時期には目についてしまう。

作品数が少なく、スタッフも被りやすい事から尚更「ああ、これ見たことあるね」って感じるデジャブ感が酷い。…叩く目的で言っているのではなく、その作品特有のモノを見出した後半部分になるまでのタイムラグを見ていると「やっぱりアニメ化したらこの原作だと浮くなぁ…」というチョイスの問題が言いたいのです。アニメ自体はよく頑張っていたと思いますし、高度だと感じる部分も非常に多かった。ただ、それが面白味や共感に結びつかないことが甚だ残念に思われて仕方ないのです。

  • 時代…かなぁ。

僕に限ったことじゃないが、萌えや画力がここ10年で上がった反面、脚本や話の面白さを追求する姿勢がなくなったという話を言う人は多い。

脚本が悪いという事が言いたいのではなく、長くて苦しい話をかじりついて書くという作品がないなぁ…と思うのですよね。あ、まどマギ以外ね。
脚本家・原作者が自分のしんどいと思う話を書きたがらないからというのもあるけど、それが顕著になってくるのが、こういう短編で繋がるアニメなのかなぁ…って思います。

日常にシリアス求めても仕方ないんですけど、いきなりテンプレートの様に後半に取ってつけたような感動のシーンを連発されると、「喜怒哀楽」の喜びばかりが強調されて変な気分だなぁ…って思うんですよね。蛇足な感じというか、何話か繋げて壮大にやって欲しいというか…見ていて煮え切らない気持ちになるんです。

趣味やニーズの問題がありますから価値観と言えば、これはそれまでですが、この不完全燃焼な気分を分かち合える人がいることを信じて書いています。

最近の作品が、脚本が素晴らしいと賞賛される作品が少ない作品が減った事情は「喜怒哀楽をバランス良く書かない事かなぁ」とこのアニメ見ていて思いました。

ちなみに日常でシリーズ構成した花田十輝生徒会の一存という作品でもシリーズ構成と全話の脚本をしていて、この作品も15分ぐらい普通の話をやっていたのが、最後の5分だけ取ってつけたようにシリアスが入るという不思議な時間の使い方をしているのですよね…。
だけど、生徒会の一存では最終話に新キャラを出すという変わったことをやってそのときは初めからシリアス一本で通していたため見ていて、「安直な感じがしなくて共感できる」というふうに思っているので決してアンチとかではありません。むしろ、すごい脚本家だと思っているぐらいです。

言いたいのは視聴者も作者もわりと無難なところに流れる人が多くなったなぁ…落としどころがなんとなく見えてしまうなぁ…とこのアニメ見て、そこに並列するここ数年のアニメ思い出して感じるになりました。逆に視聴者を精神的にたたき落としたり不安な気持ちにさせながら話を進めているのはここ数年だとギアス、まどマギ、シャングリ・ラ東のエデンぐらいかなぁ…って思うのですよね。(シリーズ中の一部でいいならば、そらのおとしものをそこにプラス)

シリアスを深く追求して「次の回が気になって、一週間が長く感じる…早く続きが見たい」ってアニメがみたいなぁ…とこの評論書いていて、強く思いました。(ちなみに、どうしようもないものをどうやって収束させるかという意味では常にAngel Beats!が気になって一週間が長く感じたなんて経験はあります。)

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