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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

アニメ評論【神様のメモ帳】-last part・12話及び総評


やっと見終わったので、細かい話する前に僕のこの徹夜明けにこんなダメアニメを目をこすりながら見た精神の苦痛を語らせてください。古今東西いろいろなアニメを見てきたけど、このアニメが間違えなく僕のワーストアニメです。

それ以外でも「Angel Beats!がひどい」「とらドラが痛い」「それらを賞賛するにわかオタクの鼻に爆薬詰め込みたい」とさんざん連呼してきたが、それはあくまで脚本の話。作画や音楽など頑張っているところもこれらのアニメはなかったわけじゃないです。*1
それらのアニメと根本的に違うのは「全くいいところが見つけられない」と言うことだ。OPが良い?アリスが可愛いなどという発言が色々出ているが、…目が腐っている豚の意見など参考にもならない。「豚は豚らしく肥溜めに鼻を突っ込んでろ」と腹の底から彼らの意見を突き返したくなる私の気持ちを察して欲しい。

今回はいつもよりも、敢えて表現を複雑にして、ざわと読み手に技術を求める書き方します。にわかオタクや萌え豚がバカの同意語でないというならば、私の文字ぐらいスラスラ読んで反論してください。

記事の内容

  1. 「頭が悪い人が思い浮かべる正義」の正体
  2. 「頭の悪い奴の社会批判」の正体
  3. 禁書目録以降のアニメのダメな流れ」の正体
  • 価値観がゆがんでいるからああいう作品ができるんだ。

ある程度、学のある人のために小難しい言葉でアニメの価値観を説明すると以下のようになる。
「自分さえ良ければいい利己主義とユダヤ教的な排他主義的な思想を無自覚かつ無垢に信仰する登場人物によってこのアニメは形成されている。」

宮台真司みたいな雰囲気の評論にはしたくないので、伝わりやすい言葉で説明します。

神様のメモ帳が原作通りできなかった製作者の言い分を私なりに考えれば、こうなる。
「1巻の後半部分で主人公が不法行為を重ねる。具体的には、薬物摂取・私的制裁による暴行・校舎の立ち入り禁止への不法侵入であるが、これについて原作は悪びれる事なく「必要なこと」と自らのエゴを通すため、この作品を年配の視聴者が共感することは難しくなる。最も原作ファンが好きなお話が1巻の「AF編」であることも重々承知だが、それでは1クール楽しんでいただくことができない。」
読者に中高生が多いライトノベルならではの盲点がアニメ化すると痛手になると想定したところまでは僕も納得できるし、僕が主要なアニメスタッフでもそうする。

このライトノベルのややこしいところは「説明しているからあたかも彼らの不法行為には正当性がある」かのように読み手に誤解を与えてしまう書き方をしているところだ。ある程度本を読み下し、ストーリー全体や世界観からみて「これがおかしい」と言えるレベルの読者は割り切って読むだけの話だが、割り切る事のできない奴が
神様のメモ帳の原作は素晴らしい。」
などとほざく!「言う」じゃない、「ほざく」だ!もっと言えば、「ほざきやがる」だ!アニメが省きすぎて原作の持ち味を奪っているのも事実ではあるが、それはあくまでアニメとの比較であって、同作品以外の大海の如く広がる壮大なライトノベルや文学・小説の世界でこの作品がどれほどのレベルかと言えば…野暮ですね。ライトノベルのレベルだけで見たとしても野暮だ。言うまでもない。

以前、原作を読んで評論した際に「神様のメモ帳は勧善懲悪の話ではない」と私に申した人がいますが、自己満足のために例え薬物依存者であろうがなんであろうが、警察に行く前にタコ殴りにされて良いというエゴが成立するならそんなものはたまったものじゃない。ヤクザモノの世界でありがちだが、そんなのに「仁侠」だ「仁義」だと大層な能書きをツラツラと涼しい顔で書き加える奴の欺瞞ときたら…そして、それを素直に受け入れたニコ厨が神メモのアニメをみて「これはいい任侠モノ」とか言っているのだから、友人のナースに彼らの馬鹿に付ける薬と診察をしてくれるいい病院を聞いてあげたいものだ。

そもそも、日本人は私的制裁ってモノについて何か「公を介さない」せいか?いいイメージがあるように思うので、改めて「社会ぐるみで行ういじめ」だとはっきりと明言した上でそれが実際に行われているウイグルの風景を私が貼っておきたい。

これを見てもなお、あなたは「公権力の仲裁がない制裁(私的制裁)が恐ろしいものだ」と言うことができないなら、悪魔です。ウイグル人を人と扱わず殴りけりする所を笑って見ている漢民族のババアと同レベルの感性の持ち主です。

神様のメモ帳」という作品の怖いところはその本質を理解せずに、薬物摂取から私的制裁まで安直にシナリオに盛り込んでいる事を読み手が抵抗なく受け入れ、登場人物達に自らの幸福追求を何の罪悪感もなくさせると言う事をさも美徳の様に賞賛することが問題なのだ。…いや、幸福も追求しないで、自分達が被害者ぶっていろんな人をぼこぼこにする話だから問題なのかな?

設定の矛盾以前の本質的な議論としてシナリオの筋道がどこにあるかを考えると結局は彼らの正義がエゴと同意語で、彼らを愛する読者の愛着は「無知という沈黙」があるから成り立つ。…苦々しい事だ。

  • なんだか知らないなら語るな!

正義が何をやってもいいことの同意語ならアンパンマンはヤクザと大差ない事は先程の話で、大方ご理解いただけたと読者の知性を信じて先に進ませていただきます。

神メモはアニメの中でいろんなものを実態もなく「美化」してきました。
先輩・援助交際・仁侠・ヤクザ・薬物・ニート・野球・移民・不法入国者(原作ではここにジゴロと補導少年というのが付け加えられるが、ここではあまり触れない。)…。実態のない美化がおおすぎて本質の所在を問いたくなったのはもはや私だけじゃないでしょう。

その前提へのコンセンサスをとった上で、このアニメ最大の禁忌に触れます。

それは「アリスが美少女である」という設定です。ありえないんです。アリスが水を飲んですくすく育つ「もやし」のような植物なら別ですが、彼女って原作通りの食生活を書けば「ドクターペッパーとラーメンのスープだけで生活している引きこもり女」でしょ?小学校時代から学校行っていない事から運動は平均の日本人の2割ぐらいしか人生でしていない。

そんな人が美少女になる可能性って…?萌え豚共に現実を見させるために言わせてもらえば、アリスが実在するとしたら、歯並びも整ってない、髪もパサパサ、眼球は出ていて、目にくまがある不気味な女です。…さらに、栄養学の専門家の友人にも確認とったところこれらの現象に加えて、悪臭が漂ってお腹が出ている人間ができるそうです。(演出のためにこの設定作ったのだろうけど、この設定って必要です?アリスの生い立ちに関係あるにせよ、美少女キャラって彩香だけでいいんじゃないですか?アリスを美少女にしたいならモノを食べない設定をせめて「カロリーメイトが生活の中心」とかならわからんでもないけど、ざわざわ読者に疑問を与える設定にしている理由がさっぱりわからん。)
その生活で髪がサラサラになるんだったら、ラーメン屋は今頃OLでいっぱいです。ドクターペッパーの類似品を資生堂が本腰入れて作りにかかります。…でも、実際そうなってますか?

一番思うのは「設定しないで良いものを設定した」って事。

これはニート探偵なんかも雰囲気で「何かかっこいいじゃん」っていって付けたようにしか思えない。同じことを何度も言っている・しかし、多くの視聴者が言うように死者の代弁者が探偵と作家だけだというこの作品の価値観は世の中を冒涜している。ニートでも探偵でもいいけど、家で引きこもっている赤の他人に代弁される死者がかわいそうだ。

戦後に骨や手紙を遺族に届けて回った元日本兵・おくりびとで一躍有名になった納棺師・住職・警察・消防・弁護士・相続の件に限って言えば家庭裁判所だって死者の代弁者足りうる。いや、誰かの死を目の前にしたことのある人間なら誰だって「死者の代弁者」足りうる資格がある。最も身近なものは3.11を海岸部で被災して、避難した15万人全員にある。生き残ったことそのものが死者の代弁者足りうるというならば、戦争体験者なんか全員そうだ!!彼らが語る真実が今生きる者の間違え・認識の相違を正したり、迷わせるのだから十分それたりうる。

私は小野田少尉こそが究極の死者の代弁者だと思うけど…僕は神様のメモ帳の作者が小野田少尉を知っているかどうかから問いただしたいね。「靖国で会おう」って台詞をいれた時点で彼は政治がわからない人かわかったつもりの人だと思った覚えがあるが、考えてみれば「ニート探偵」の設定を何の恥もかんじずに世の中に出した時点で、彼は何も分かっていなかったんだ*2

「死者の代弁者」という存在の大切さを認識した原作は評価できるが、そこで「ニート探偵」っていう「なんとなくかっこいいだけで実態のない」モノに何か分かった口でモノを言われたくない。

安楽椅子探偵」って言葉あるが、あんなのはたまにやるのはいいけどそれを終始一貫とするスタイルのやつがいるとするとそいつは探偵として三流だ。取材にいかない作家と、調査にいかない探偵が優秀にして万能ならそいつの脳みそを永久機関の脳みそに入れちまえばそれで、事件がなくなることになるが、人間という生き物の本質とは相反する事象であることは言うまでもない。

ここ最近のアニメでどういうのが売れてきたか…という事を考えれば、神様のメモ帳っていうアニメを原作ファンが喜ぶようなエンジェルフィックス編や平坂錬次関連の話をじっくりやるということではなく、アリスやミンさんを中心とした萌えアニメのような路線を序盤に進んでしまったかがわかる。

はっきり言うとアニメはJ.C.STAFFがぶっ壊し、J.C.STAFFというぶっ壊れたアニメ会社をアニメが支持・肯定したから神メモはこういう作品になった。
別にJ.C.STAFF作品でも原作通りだったり、萌えだけに偏らないいい作品はあるんですよ?ただ、ある有名なアニオタの言葉を借りれば「萌えというポルノ」に偏りやすい作品を作った戦犯的な企業の一つはJ.C.STAFFじゃないですか?

私は多くのエコノミスト同様に主張の根本は「市場万能主義」ですが、竹中平蔵などの雑魚と違うのはそこには専門性や道徳が市場を運用する人間・参加する人間にある事が大前提になる。竹中氏の言うように、「自由」こそが国民の普遍の価値で市場を開く事が経済を良くするなら法律何か全廃すればいいが、合理の誤謬(双方が合理的だと思ってとった行動同士が衝突する事)を調整する事をするため、実際は法律もいるし、市場は万能ではないため、合理性のために消費者も生産者も嘘を付いたり、合理的じゃないことを相手にさせようとする。

萌えばかりを強調するアニメがどうして制作会社にとって合理的かというと「ヒロインの関連以外の作画枚数を大幅に節約できるうえに、シナリオのできが悪くてもキャラが可愛かったらそれだけで多めに見てもらえるから」です。そのため、一部の馬鹿なアニメオタクの言うことを極大解釈して「ほら、お前らが欲しいのは萌えなんだろう」ってやってしまう。
だが、これってすごく手抜きの言い訳で、専門家・マニアが面白いと思うアニメができる目を断っているですよね。片一方で硬派な人、バランス的にアニメを見る人、アクションシーンが好きな人を排除している。

そういう現象をまとめて「衆愚政治」と言ったが、僕は政界を日本人が堕落させた理由と似ていると思う。結局、目先の利益を安売りすることで選挙に買った人が覚悟もなく、自分の懐に入れるためだけに仕事をする。
アニメってのはこうなんだ、政治とは本来こうなんだというその道の専門家の意見をないがしろにしてきた結果、少数の人しか議論に参加しなくなったという点では同じではないのでしょうか?

僕は神様のメモ帳というアニメを「いい任侠アニメだ」とか「アリスを愛でるアニメ」だと安直に言う連中を見ると「こいつらがアニメを堕落させたんだ」という怒りを覚えますし、神様のメモ帳というアニメを作らせたんだと思います。

アニメに限らず、自分が使う物・食べるものに対してもっと知識を付けた消費者になろうという意識がないと企業はなりませんよ?日本人がうるさいからアメリカのコンサルタント達は「日本で成功すると世界で成功するよ」って言っているが、最近僕みたいな「うるさい日本人」の存在を否定するライトユーザーとそれを騙そうと腹の下で目論んでいる企業が多くなったから僕から警告したいね。

要るのは正しい選択とその選択を反映させる企業や政府の土壌だいらないものは声が大きいだけで知識のないお客様だ。…ここまで、考えてみると神様のメモ帳っていうアニメ一つ取って考えても現在社会の姿や本来のあり方を考えさせられますな。

備考・神様のメモ帳関連の評論記事
原作評論
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20110725/1311586616

評論①・一話パート
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20110717/1310900229

評論②・4話パート
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20110806/1312620829

評論③6〜9話パート
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20110904/1315148261

評論④10、11話パート
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20110917/1316224862


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本日のバナーですか?一番根本的な所を見て欲しい。ピアノは楽譜と鍵盤と指があって音を発するように、アニメの面白さ、萌えの素晴らしさって言うのもいくつかの要素があってそれにもっと気づいて欲しいと思って楽譜のバナーです。誰がつくったとかじゃなくて「どう作るか」をもう一回考えて欲しいと言う私の意思です。

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*1:とらドラについてはOP、EDとタイガが竹刀を持って殴り込むアクションシーンが好きで実は全部嫌いという訳では決してない。Angel Beats!も麻枝さんが作ったピアノ曲と番外編の悪ノリは結構好きです。99%嫌いで、糞アニメだとも思うけど、1%だけ冴えたところがあった。

*2:わかんない人のために詳しく説明すると小野田少尉は終戦後30年間フィリピンでゲリラ戦を一人でやり続けてきた最後の日本兵の一人。正確には小隊単位で戦争していたのだが、最後の10年は完全な孤独で、上官の命令で任務終了を言い渡されるまでは戦争行為を止めなかった人。おそらく、今語られる兵士・戦士の体験談の中では彼の発言が最も説得力が高い。戦いが長期化しすぎたあまり、動物的直感が著しい程に特化したという。御歳90歳で存命。普段はブラジルにいるのだが、今年の8.15では靖国神社に顔を出して演説した。