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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

探偵はBARにいる

映画の話

ちょっと用事があって出かけているうちにブログが伸びまくったり、世間が変わったりと色々なことがありましたが、今日も元気にブログを更新していこうと思います。

過ぎた事は変わらない。ただ、これから最も幸福になろうとする事はほとんどすべての人にできるからこそ、私はこの映画を見る事を多くの人に選択してもらって「希望」を持ってもらいたい。ちなみに、その「希望」が持てる映画の原作はこれ。

探偵はバーにいる (ハヤカワ文庫JA)

探偵はバーにいる (ハヤカワ文庫JA)

本日の内容

  1. これが本物のヤクザモノ!
  2. ミステリーと邦画の新しい1ページ
  3. 「役」という重荷
  • 暴力団の姿を真正面から描かれた名作

ジャンルとしては「ミステリー」なのですが、コナンみたいなタイプではなく暴力シーンの多いヤクザ映画的な側面も合わせた作品です。

そのため、作品の好みを分ける分岐点として「アクション」であったり、「任侠モノ」の好き嫌いが入ってくるでしょう。映画全体的にコミカルなシーンも多いのですが、シリアスシーンの中心を担う部分がヤクザに関する描写であり、それが非常にリアルに描かれています。

今の70歳以上の方はお詳しいと思いますが、「右翼団体=ヤクザ」と言われるほどヤクザが政治団体を持っていた時代があり、未だにそういった団体は多く存在します。当ブログでも「日本皇民党」という暴力団系の右翼団体の存在をフジテレビデモの記事を通じて暴いた事があります。

しかし、暴力団が普通の商売をしている「隠れ暴力団」であるケース・右翼団体を装う「政治系暴力団」のケースの両方を私は知っています。今回はその「右翼」が重要な鍵を握ってくるのですが…ヤクザモノらしい、血で血を洗う抗争というものを美化せずに丁寧かつ明確に描かれていた事はこの映画の価値を大きく上げたと評価したい。

といいますのも、「仁義」「人情」「仁侠」というものを強調して暴力団やヤクザを美化する作品が非常に世の中に多く溢れているのです。
最近のもので具体例を挙げると『神様のメモ帳』という現在放送中のテレビアニメです。

しかも、痛い原作ファンなどは私のブログに長々と書き込んで
『「任侠団体」だからあなたの妄想だ。100歩譲ってそういう側面を認めてもあなたは書いていないことを推測で語る妄想が多い。』
とクレームを付けてきた人がいます。しかし、私に言わせれば「神様のメモ帳」の作者である杉井光先生の妄想上のヤクザが地上波で公開される事の方が問題です。

現実には公安・警察関係に暴力団系の団体はマークされます。本人が仁侠も右翼もどう名乗ろうと非合法な私的制裁を行う団体が不当に人を傷つけている事実や怖がられ、治安を脅かす悪名高い存在である事を作品の中でしっかり認めないような仁侠・ヤクザモノは私は駄作であり、ファンタジーであり、ヤクザ自身にも迷惑だと思います。

似ている点があるから一つ書き加えます。「神様のメモ帳」は渋谷が、「探偵はBarにいる」はススキノ(北海道の歓楽街。東京でいう歌舞伎町、大阪で言う難波)みたいな所が舞台になっているのですけど、僕はススキノに行ってみたくなりました。アニメオタクでいう「聖地巡礼」で映画の舞台となっている町を歩き回ってみたいと思わせるような魅力あふれる撮影が出来ていると思いました。(逆に、神メモが描く渋谷には何十回と歩いているだけに「偽物」っぽくしか映りませんでした。)←最近ご当地を題材にする映画やアニメがたくさんあるけど、どうせやるならご当地の宣伝になるようなリアリティーある街並み・美味しそうなご飯をとってもらいたいものです。

  • 僕が今まで見た邦画の中で一番面白い!!

ウォーターボーイズ下妻物語と言った誰でも知っている名作に肩を並べるだけの面白さがこの作品に詰まっているので、その見どころをヤクザに限定せずに語りたい。はっきり言うが、未だに邦画にこれだけの力があることをこの映画見て知ったときにと思った。
「アニメがすごいとかよく言われるけど、決して日本映画も見劣りしない!むしろ、これは海外で賞を総なめにできる!」
と思った。(※はっきり言って、ダメになっているのは音楽だけだと思うね。マンガは今が一番暑くて、邦画はお金とキャストさえクリエイターと合えばこれだけのものが作れて、アニメは予算によりけりで、人材の層は熱い。でもJ-pop、お前はダメだ!)←その意味では松田龍平さん・大泉洋さんという主役のコンビを含めて役者が神がかっていた!


まず、映画のテンポがすごく良い。盛り沢山な内容を消化するために強引に詰め込むといったこともなく、魅せるシーンでは時間をとりつつも、次々と話が展開していくスピード感をナレーション・俳優が走る演出・早回しのブレたカメラワーク・時系列の並び替えなど脚本から編集まで映画制作のあらゆる場面の工夫が相乗効果を生んで映画を互いに良くする作品になっています。

コンセプトがブレず、みんなで同じ効果を出すために一体感を持って映画を作っている作品は強いね。

次にコミカルなシーンだけど…キャラによってうまく色分けされている。役者だけではなく、モノや台詞・出番の少ない脇役なども含めてお笑い要員がいい仕事をしていると思います。(時々お笑い要員で出演したやつが…いや、なんでもない。)
笑いのセンスが古くて渋いところも含めて面白いですね。原作がいいんでしょうね。ストーリーもギャグと本編の絡み合いも、ギャグキャラに中身を持たせることも良く出来ている。

  • ある種類の人間になりきる重荷。

「心を鬼にする」という言葉がある様に人間は「役になりきる」事で生き抜くシーンがある。これは「役者としての演技力」という話ではなく、この映画全体のテーマ性の話です。
映画を見ていない人はこの「なりきる」という事はこの映画のあらゆるところで鍵になってきますので、意識してみてもらえるとより深くえぐりこんで映画を観ることができますよ。見ている人はただの娯楽作品で終わらないこの映画の深さをよくよく思い出していただけたら幸いです。

最近のシナリオには(実写アニメ問わず)この概念が非常に欠落していると思っていました。
古いけど、人間を描くときに最も重要な要素で、その最たる作品を挙げると太宰治の「人間失格」に出てくる主人公の「道化」です。「道化」をするという事がその場の起点ではなく、自分自身を変えてしまうようなぐらいに、自分自身で演技だと思い込んでいるうちに本当の自分がなくなっていくような…そのぐらいの「道化」を描いた作品というのは深い。

太宰治作品的な価値観を人間が浅い人は「要領が悪い」だの「嘘つきの悪い奴」だの「駄目人間」だの言うが、とんでもない!!要領が良すぎたから、そこに落っこちて行くんです。

私は反対で「人間らしく生きるための人間」を目指していて、欲望に忠実で、他人を蹴落さない「自分にも他人にも優しい人間」でいることが人生の目標であり、私の行動原則です。要領も悪いし、トラブルにも巻き込まれるし、友達も少ないですが、晴れ晴れとした幸せな人生を送っていますとも。「幸せを袋に入れて分けてあげたい」程にね。

しかし、目的を生存や人生の中に置くのではなく、「何かを成し遂げること」にするのであれば、その時に人間的な感情を殺さないといけない。(もしくは違う人間に生まれ変わらないといけない)そうした時に「道化」が必要となる。心を別の誰かに、鬼に、自らが嫌う姿に、自らを失う姿に変えないと幸福がつかめない人がいる。

そういう人の話というのは悲しい。けど…まっすぐで、立派で…誰にでもできるような話ではなくて、それなのに理解されなくて、孤独で…だから、私はあるシナリオを読んで大粒の涙を流したことがありますよ。それは映画ではなく、ゲームでした。*1でも、その涙を思い出させてくれたこの映画の存在は僕にとっては日本映画史に残る名作だと位置づけたい。

「生きる」という事を生臭い部分も交えながら「どう生きるか」「なんで生きるか」を考えさせられる映画です。


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本日のバナーですか?今の心情です。「愛情ってどんな形でも表現できるけど、最も酷い裏切りを生むのも愛なんだろうなぁ」という私の心境です。映画の話でもあり、自分の身の回りの話でもあります。

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*1:パワプロクンポケット8の高坂茜ルートと、パワポケ11の神条紫杏ルートです。前者は「家族に」愛されるために、後者はすべての罪を背負うために演技をするのです。前者の「幸せしか感じない人形になっちゃえばいいんだ!」という台詞と、後者の【桃の精霊】の話は動画でもいいから一度知って欲しい。このゲームを見てなお、ゲームを馬鹿にできる人なんか絶対にいない!!高尚な文学で論じるようなテーマをゲームという敷居が低く、難しさを意識させない作品で論じたこのゲームの功績は大きい。