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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

ラノベ評論【僕の妹は漢字が読める】


今回は2chで話題になったライトノベル【僕の妹は漢字が読める】に付いて語っていきたいと思います。

僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)

僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)

記事の内容

  1. あらすじ
  2. 「作者の力量」としての評価
  3. 「この本の小説」としての評価
  4. 「この本を通じて」感じたこと
  5. 我がプロ論
  • あらすじ

時は23世紀。萌え系の仮名文字のみで書かれたライトノベルが【正統派文学】と呼ばれる時代。仮名文字のみの萌え文学(正統派)は日本中を覆い尽くし、日本人は漢字を使わなくなり、人々の関心も妹系二次元(10歳)が内閣総理大臣をやってしまう程にまで世の中が変化してしまった。

この物語の主人公「イモセ・ギン」はそうした萌え文学に歴史を変えた名作【おにあか】こと【お兄ちゃんの赤ちゃん産みたい】に感動して作家を志望し、萌文学の巨匠【オオダイラ・ガイ】先生を妹の『イモセ・クロハ』と訪ねる事になった。

妹萌えが主流になった文学界の巨匠と言うことで文字通り、底抜けの変態で妹のクロハが呆れ返ってしまうほどなのだが、巨匠の大ファンであるギンは「10歳の末っ子の妹イモセ・ミルも今度はお目にかけましょう」と約束する。イモセ3兄弟とガイ先生が集まった時に事件が起きて…(おーと、ここまでだ!済まないねブラザー!ここからは読んでみてのお楽しみだ。)

  • 書けそうで、書けない高度な小説

四六時中同じことを考えている人間にはそれを見ただけで、相手の事がわかる能力がつく。
僕もこのブログ開く前からもう6年は人に日記を公開して「書く」って事については大なり小なり極めたし、本についても並みの経済学生に比べたらたくさん読んでいる。だから、ラノベを読んだ時に「この人の性格はこうで、知性はこれで、興味は、教養は…」ということがわかる。
だから、この作者が文章の内容とは比べ物にならないほどに計算高い性格だということも私にはわかる。…具体的にお話しましょう。

この小説の「わかりやすさ」は文体や言葉の使い方だけではなく「キャラクターの設定」にこそある。律儀に設定を守って書かれているため、最後まで(一部を除いて)サラッと読めるし、展開もわかりやすい。

私がこの作者を最大限評価したいのはこの「イモセ・ギン」というキャラをブレずに書いたこと。あらすじを紹介したときに「萌文学のファン」と言ったとおり彼は「無自覚な変態」であり、ひらがなしか読めず、萌えが世界の基準だと思っている点で言えば「バカ」です・
そういうバカの思考回路を再現する・維持するというのは骨が折れる。読者もイライラしたり、胃が痛くなるシーンがあるが、作者はそれ以上だ。

それをうまく再現したり、23世紀という奇っ怪な設定に則り馬鹿なりに思考させるということもめんどくさい。(できなくはないけど、苦痛だ。)

…この文章能力がもっと別の方向に向いていれば、いいと思うのですが。
と言っても、私はこの作者は作家としての才能はあると思います。神様のメモ帳でもラノベ評論を書いた際に「この人はルポライター的な才能なら評価する」というコメントを残したけど、今回は「磨けば光る作家だけど、今の力を読者として納得しろと言われるとできない」と言うのが僕の評価です。読み物としてのまとまり具合や伝わりやすい工夫(文体・キャラ両方)は非常に読みやすかった。

  • 「穴だらけの世界」

おそらく、はてなで最も有名なブログの書き手であろう「内田樹」というエッセイストで学者の方が自身の著書『下流志向』の中で大学生に対して『わからないことを気持ち悪いと思わない彼らの見えているものは穴だらけだ。私にはわからないと思うことにイライラしたり、気持ち悪いという感情が働くが、彼らにはそれがない。』という趣旨のことを述べている。

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

僕は世界観設定に関してはどのレビューよりも厳しいと思う。というのも、その人の教養と興味と思考的バランス感覚の全てがそこに凝縮されるからだ。

結論から申しますと、私はこの作者については『にわかオタクの妄想で、せいぜい同人誌かSSのレベルの発想力しかない』と思っています。そして、その歪みは作者自身が「イモセ・クロハ」という作中のキャラクターで証明している。

「もし、萌文学が正統派で、首相がロリな妹系の二次元になるような世界だったら女性は生きられますか?」

無理です。結局二次元総理も、萌えの主流化もにわかオタクの妄想であり、ネラーの冗談であり、永遠に実現のされようがないのです。

ということ書くと「ネタにマジレスするな」という言い方をされますが、世界観設定で違和感を感じるとキャラクターの発言に説得力がなくなるんです。現にギンの発言にはなくて、クロハの発言には説得力があるというおかしな構図になっています。(萌えが主流の世界で、正統派文学ならギンの言っていることが的を得ていないといけないのだが、そうなってない。ギンが異端なら今度はガイ先生がヒットしていることが矛盾になる。)

真面目に書くと、これが少数の趣味とかならいいんですよ。ケータイ小説と萌えと…仮名文字の古文みたいに多様化していれば、別にどうとも思わないのですが、二次元を総理にしたり、少女のお尻を舐めまわす文学を正統派と言い出すから話がおかしい。

もうちょっと、嫌味な言い方をさせてもらうと「この作者田舎もんじゃないの?」と言いたい。
ある程度混んでいる電車に乗ってみてください。広告・ファッション・催し物・政治・経済・健康・タレントなどいろんなものが文字や音声を通じてオタク以外のものが表現されている。逆にオタクだけの事を考えて生きている人がいるとそれは引きこもりのニート以外にいない。
世の中ってのは「多様性」だ。みんながみんなJRの広告通りAKBとSMAPが好きなわけじゃない。オタクもいて、スイーツもいて、高齢者もいて、スポーツマンもいる。しかし、この作品はそういう多様性を抹消してしまっている。

その違いを認めることは作品のテーマ性にもなっていることだが、それしか話の中身がなく、そこにつなげるためにこういう歪な世界観を書いたならば、私は作者の頭が幼いと思いますし、本当に脳内でこういう風になっていくと、面白い・なっていくなんて考えているとするとそこに人間の姿や街の雑踏が小説の中に感じられない。

この話はすごく重要なことで、ラノベの名作何かはこれをちゃんと守ってる。例外なくどの作品も守ってる。キノの旅」「狼と香辛料」「涼宮ハルヒシリーズ」「とある飛行士の追憶」など私が読んで評価し、世間も高い評価を出した作品はノベルが成立するための前提をしっかりと練り上げている

そこらへんが最近台頭してきた神様のメモ帳】も、【僕の妹は漢字が読める】も欠落したところで、読者の意識に違和感を生み出す結果になっている。

一度、2chがスクエニの広告文句にある「今まで誰もやらなかったアイデア」っていうものに対して「思いついたけど、無理に気づいてやめたんだ」と批難して人がいたが、【僕の妹は漢字が読める】はその典型例と言える

  • 作家は人一倍「マニア」であれ

アニメ業界においてオタクが作品を作ることについて是か非かという議論がよく巻き起こる。
巨匠・宮崎駿さんは大反対なのだが、エヴァンゲリオン庵野秀明を含めたガイナックスの創業メンバーの様に「すごいオタク」が業界の新しい常識を作ってしまったという例もある。(※ガイナックスは「オタクよりもオタク」になってオタクの裏をかいてくる手法を未だに継続しているしそれで成功している。)

僕はコンテンツのクリエイターはブログからアニメ・伝統芸能、ちょっとしたデザイナーまでありとあらゆるものは「マニア」であるべきだと思います。以前から薄々思っていたのですが、この作品を読んでいると「にわかオタクで、本も大して読んだことのない作者の書く小説とはこのレベルの展開と発想か」と強くげんなりして【物書きなら、雑学・小説・評論・芸術などあらゆる文化に精通しているべし】と思うようになりました。

評論家が最たるもので、私が参考にしている「アニオタ保守本流」の管理人古谷経衡さんはアニメを語る上で、その元ネタとなる歴史背景や文学・映像作品などをみっちりと調べこんで語る。(時々思い込みや主観が入るので、好き嫌いは分かれるけどね。)
これはクリエイターもそうで、著名なアニメ監督押井守さんもアニメではなく、文学に精通し、映画内で使われる台詞に多く使われている。さっき説明した庵野秀明は文学に通じてるかどうかはしらないが、間違いなくアニメと特撮には精通していて細かく検証すると誰でも知っているような作品が意外な形でオマージュされている。

要するに「教養・知識」が要求されるのが「文字を書く・話を綴る」ということなのだ。私はこの小説に足りないものはまさにそう言った「萌えへの知識、読み物への教養」であってそれがないから読者が納得できないしこりが残った作品になってしまった。(私に限らず、アマゾンの評価でも割れている。評価こそ3.5だが、新人の書く萌え小説だからご祝儀が付いただけといわざるを得ないような内容が多い。)

  • プロ論〜道を作るということ〜

最後にこの話をして終わりにします。こういうタイトルの本が高校生ぐらいにあって各界の著名人がドヤ顔で自らの事を語る本があります。

プロ論。―情熱探訪編 (徳間文庫)

プロ論。―情熱探訪編 (徳間文庫)


でも、こんな自称プロ共を呼ばなくてもいい。なぜなら、真理はたった一つしかないからだ。

プロとは「自らが生業とする事について、如何にパフォーマンスを上げるかを四六時中寝ても、覚めても試行錯誤・切磋琢磨する人間のこと」である。

これだけ。私がああだこうだと、俗に言う上から目線でラノベを語ったことについてムカつくと思った人がいると思うからこの話をしたい。(※上から目線という言葉の一般的な使われ方は日本語として本当は間違えです。…調べてもらったらわかるけど。)

さっき書いた通り、私は友人に6年にわたって文章を形を変えて配信し続けた。
1年目には企画が面白がられ、3年目には感動したと言われ、4年目にはmixiに殴り込んでニュース記事をかくようになった。mixiで5年目に初めて「顔を合わせたことのない友達」を文字で作って、6年目には文字でつながるマイミク申請が10人近くになった。7年目の今日では小論文の助言や「この記事を拡散してもいいか」という依頼がちょくちょくmixiではくるようになった。(11月現在、五日連続でTwitterで「君の記事面白いよ」という激励の声が来ている。)

その経緯で「俺の文・思考・発想には需要がある。でも、それをどこにでもいるちょっと面白い人で終わりたくない。」と思ってブログを始めた。大学三年の秋から本格始動して、もうすぐ1年が経つ。その間、自信を付けてきた通り文字の友人も増え、私の文章や取材をはてブTwitterで宣伝してくれる人、毎日こっそり見に来る人も出てきた。

四六時中「もっと面白いものを」「はてブが100件行くような記事を書きたい」「ブログ村で一位を取りたい」「2chで貼られても【こいつスゲー】って言われる記事を書きたい」って思ってやっている。

これを理由に見下そうということではなく、そうした経験値・目標を通じて【私がこの本を読んだから言えること】を正面切って、一切のおべっかを無しで言ったまでです。私が思う「最もこの小説の読者のモヤモヤした部分を代弁できる書き方」であり「読もうか悩んでいる人に明確に小説を読んだ人がどういう気持ちになるかがわかる書き方」がこれだと思って書きました。

私の文章を正直で誠実だと言う人が居るからこそ、その人達の信用に応えたいと思って書いているのです。

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本日のバナーですか?なんか、言いたいことを代弁してくれていたので、これにしました。(この作者も格闘のマニアだからああいうマンガ描けるんだろうなぁ…だって、自身が格闘家ですもの。)

アフィを貼ることは否定しないが、アフィのために嘘をつくブロガー、レビュー書きと一緒にされちゃ困る。
ダメなものを「ダメだ」と言って、目の前のゼニよりも信用を優先してこそ一人前だ。

野菜の目利きができない八百屋にいかないように、文学作品や社会を読めないブロガーのところには誰も来ません。読める自信があり、そう評価してくれている人がいるからくるんです。