漫画語り【学校の時間(上・下巻) 長田佳巳】 

昨日、Twitterのフォロワーさんとオタベリ(オタク同士のおしゃべり)をしていた時に「コンテンツが今売れているものより先に進もうとしているのでは?」と言う話になり、「ブログに代案を書いた」と言ってこの漫画を三つのうちの1つとして紹介した。

実を言うとアニメ・ラノベ・文庫本・映画など様々なものを語ってきた私も漫画だけで1本の記事を書いたことはないので、やろうか、やらないか悩んだが…【最近何かが変だ!】という思いから居ても経ってもいられず、漫画について語ることにした。

学校の時間 上 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

学校の時間 上 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

学校の時間 下 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

学校の時間 下 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

  • 簡単なあらすじ

ぼっちの女の子に人懐っこい友達ができて、クラスになじむまでの物語…以上。(2巻しかないんだもの。ここ書きすぎるとネタバレしちゃうから勘弁して><)

主な内容

  1. 人って意外とブサイク
  2. 自意識過剰な高校生の目線に立つ
  3. 男は裸体に興奮しない

  • 不細工な顔までもリアルに書いちゃう漫画

学校の時間の魅力は『2つのリアリティー』です。1つは作画的なリアリティーで、もう一つは心理描写としてのリアリティーです。

『学校の時間』というように『時間』がよく描かれている。「こういう時期あったね」「こんな感じだったね」「こういうこと考えてたよね」と読者を納得させる説得力がある。

冒頭に書いたように『既存のアニメの先に進んだ形』の一つとして答えを提示すると、この作品を貫く『素朴にリアルを描くこと』ではないでしょうか?
じゃあ、アニメの何がリアルじゃなくて、『学校の時間』のどこがリアルか?

ブサイクな人の顔まで書くところです。
歯を食いしばって走っているところ、窒息しそうなところ、吐き気を催しているところ、怒って静かに関節技かけちゃうところ、あまりの怖さに必死でパニックを装う顔、眉間にしわを寄せて不機嫌そうにする顔…色々ある。

だから、人間らしい。それも清々しいほどにね。
何でもかんでも可愛く書いちゃう萌えアニメというのが世の中に多い中で、これだけいい部分も悪い部分もちゃんと描いちゃうマンガというのは尊敬に値する。
「喜怒哀楽」だけじゃ終わらない条件反射に見せる変顔・恥じらいまで書き抜いちゃうところがこの漫画の楽しいところ。

どの4コマ系やラノベ系にありがちなことだが、醜い部分だけ急に簡素な絵でごまかす作品というのは結構ある。それもそれで表現技法なのだが、冷めた睨むような目を全部メールの顔文字みたいな「ジト目」にしたり、嫉妬を全部目から光を消した「ヤンデレ」顔にしたり、怖いと思う顔を全部目を丸くして困惑する奴にしてしまうとどのアニメを見ても同じ感じの記号ばかり見ていて…正直、食あたり気味ですよ。

コンテンツが画一化しているのを日々感じます。(画力以前に表現技法の問題で。)
次にキャラデザ見てて思ったのですが、「女のブスキャラってなぜかあんまり書かれてないよね?」って思うのですよ。アニメによっては男も割ときれいに書いちゃうから余計に現実味がない。

かんなぎ・東のエデン・鋼の錬金術師など一部の作品はブサイクキャラでもメインに入ってきたりしますけど、そうではない作品の方が圧倒的に多い。もっとひどいとモブまで美人で見ていて、違和感しか感じない。(最近はモブすらもない作品出てきましたけどね。例・生徒会の一存、踊るピンクドラムなど)

これはファーストのガンダム見た時から気になっていたことだけど、腐女子の妹なんかはもっと早く気にしていて「どの男の子も毛も肌もツルツルピカピカの美少年・ショタイケメンばかり書かれたにわかの腐女子向け作品にうんざり」と言う言葉を残している。(実際、妹の一時期の趣味はすごくゴツゴツとしたオッサン萌えみたいな作品が多い)

『フィクションだから』『ネタだから』どうこうという言い方で逃げられるんですけど、ここ5年間でそれがひどくなってるんですよね。本格的にリアリティーある作画・キャラデザしないで、モブすらもきれいに書いちゃうアニメって大分増えたと思う。だから、見ていて感情移入できないし、違和感としてしこりになり続ける。

  • 自意識過剰な・他人が気になる高校生の目線

第二のリアリティーである【心理描写】の話をしましょう。学園モノのアニメ・漫画は日本で最も多いジャンル(だと思うの)だが、なんで恋愛要素もアクションシーンも少ない「学校の時間」を選んだか?

何度も言うように【昨今のアニメの先にある傾向】というのがこの作品で、その新しい傾向を見出したところは『素朴に【時間】を描けているところ』です。
私の師匠である高校教師は私達の世代のことを【箸が転げ落ちても面白い年頃】と表現していましたが、この回答は70点しかあげられない。
正確には【箸が転げ落ちる所もしっかり見ている、見られている気がする年頃】というのが正解でやたらと他人の言動を気にするし、他人の目線が気になる。
※ここからは社会学っぽい要素をはらんだ話になリますが、この漫画の正確さというのはそういう部分なので、悪しからずご了承ください。
大前提として、学校というのはメンツがしょっちゅう変わりませんし、顔を合わせる機会も多い。共同で作業する相手でもあるし、嫌でも1年間一緒にいないといけない。会社を転職する事よりも学校を転向することの方が周りに事例が少ないので、社会の見る目が…。

だから、成績の良し悪し・言動が普通かどうか・顔が美人か不細工かであれこれと人の評価や集団の立ち位置を精密に決めて、独自のコミュニティーが形成される。

変わり者がいじめられたり、怖がれたりするが話してみると普通の人だったということはザラにあるが、必ず排他的なヤツもいて人をいじめたがる。
これはいじめる奴にも社会学上はちゃんとした理由があって【自分の身を守るために、危険・厄介な人を近づけたくない】という目的がある。(いや、ひどい奴で【快楽で】という人がいるが、そういう奴は徹底的に罰を与えていいと思う。)

「学校の時間」というのはキャラクターの中に周囲からの評価・キャラの位置付けが非常にはっきりとした漫画だから読んでいて「そういう奴いたよね」と思いながら読める。それを非常に気にする辺りもまた高校生・中学生らしい部分でこの作品の一つの肝だと言える。

これを「国民性」だと言いたい人がいるので、少しだけ補足を書くと実はアメリカも学生時代は他人への干渉が酷い。誰がどういう奴だったかみんな覚えている・知っているで、いじめっ子やクラスのアイドルもいる。(あまり知られていないことだが、庶民単位で言えば日米は結構似ているところもある。近所の国中韓よりもずっと親和性がある。…エリート階級・ユダヤ人層とは全く合わないけどね。)

私のブログ読む奴というのは個人的なイメージとして筆者相応に陰気な奴が多いと思うからその励ましとして言うが、中学生・高校生というのはその場の評価に縛り付けられすぎている。

いじめられている・友達がいない・学校の成績が悪く親に白い目で見られるなど色々あると思うが、これでコンプレックスを持つことって学校の弊害なんですよね。
マイケルムーア作品の中で少年の銃乱射事件に対する学生のインタビューで素晴らしい答えを行った人がいた。
「ここが全てじゃないって誰かが教えてやればこんなことにはならなかった。」
これが真理である。「学校の時間」も中学時代の憂鬱な「気分」を引きずって学校に来ていた人に高校では友達・恋人ができる話だからそういう意味では【学生への応援歌】だと言えなくもない。

よく、宮台真司を筆頭とする【できそこないの社会学者】や小倉智昭を筆頭とする【何も分かっていない大人】がこんなこと言っている。
「最近の若者はダメだ。」「キレる若者は怖い」「だらしがない若者」「マンガ・アニメ・ネット・ゲームが彼らの狂気の発信源だ」
バカばっかり。もちろん違います。…少年犯罪というのはそういう特殊な環境の中で多感な少年達を過度な監視・評価の中で育てたから起こるものです。宿題を出さなくちゃ、校則を守らなくちゃ(逆もしかり)、みんなの話題についていかなくちゃ、親に怒られるから…圧迫に圧迫を重ねた結果として、1部の若年層が犯罪を起こす。視野が狭いし、さじを投げているのだから、彼らにも落ち度はあるが、これは完全な教育と環境の問題ですよ。

世代論に逃げないで「学校ってのはこういうもんだ」という事をしっかり書いている作品だから、宮台・小倉のような頭でっかちな大人達にも反省の意味愛をこめて読んで欲しいね。(いや、事務所知っていれば、送り付けてもいいよ?)

  • 実は裸体はエロくない

理屈っぽくにエロい話しします。何度も言うけど、この作品を特集するテーマは最近の傾向と違う【その先】です。

テレビの人がコンプライアンス(苦笑)で裸体を微妙な湯けむり含みながらしか描けないのですが、漫画は結構裸体をがっちり書いているものは多い。(乳首までくっきりとね)
最近、上映中の【マルドゥック・スクランブル】という映画の3部作のうちの2部まで上映されたがあれもヒロインの全裸が多い作品だ。

意外に思うかもしれないが、実は全裸ってエロくない。むしろ、表現技法の一つで演出として書かれることが多い。(マルドゥックなら『自由』を、学校の時間だったら『優越性』描く演出に使われている。)
なんで、全裸の話をするかというと…全裸シーンがあるんですよ。更衣室の下着姿を堂々と各シーンもあるんだけど、この漫画の面白いところは【エロスを感じるシーンがそこじゃないこと】です。

マンガ全体を見回してエロいと感じるシーンがないわけではないのです。ただ、普通のシーンなのですよ。食事だったり、スポーツだったり、振り向いた時のベソ顔だったり、緊張して放心状態なところだったり…要するにそれ自体は別にエロを意図したものじゃないんだ。(食事だけちょっと狙った感があるけど…)

最近のアニメの「狙った萌えシーン」が多過ぎるんですよね〜食あたりするぐらいパターン化されているものが多くて…メインじゃないので多くは語らないです。(しかも、萌えというよりもエロだし…。)

何が言いたいかというと、もう一回考えないといけないことがあって、それが『我々が興奮しているものはなんなのか』ということ。
昨日、メモになぐり書きしたしたものを一覧として並べてみよう。
『長髪の女性の後ろ姿、肩から下に別れていく細い髪、恥じらいの表情、足元を気にしてもじもじしている所、食べている口元、何気ない横顔、見えそうで見えないスカートの影、スカートからチラッと見えるふくらはぎ、チラッと見える下着の紐(あるいは装着すらしていない下着そのもの)、髪留めを加える所、長めの靴下の上の出っ張った肉、「目」全般。(流し目、ジト目、驚き、アイコンタクトetc…etc)』

別に性的ではないですよね〜脱いでいる訳でもないし、モノによっては顔すら見えない。…目は私の趣味ですけど。

よく脱がしたり、入浴シーンに出くわすアニメがあるけど、何が「ラッキースケベ」ですか?すごく童貞臭くてエロがなんぞかを分かっていない。

エロは2つの正体があって、一つは創作のエロだが、これは『想像力』だ。本物が見えること以上に、本能的に「ドキッ」とするような緊張感が重要で、露出度や性的であることとは全く関係ない。
本来の萌えはキャラクターの特性から来るべきだと言い続けているが、もしも絵によってもたらされる「ドキッ」というものであるならば、露骨なエロシーンよりもそういった日常に落っこちているエロスをもう一回拾い直して創作に投影するべきだ。ただ、性的な感覚ばかりを思い起こさせるような不自然なシーンを萌えというのであれば、それはポルノと同意語だ。おまけにそれで「二次元の方がエロい」というならエロとしても間違っている。

もう一つのエロの正体は【実在するもっと生々しいエロ】だが…これはそもそも視覚ではない。マンガだと完璧には表現できない。触れると手が吸い込まれるような柔らかさ・相手から感じ取る体温・体にまとわりつくベトベト感・匂い(甘い香りがする場合も汗臭い場合も何故かエロく感じてしまう不思議)・自らが感じる背徳心や相手の優しさ

ここらへんの違いをうまく割り切れない漫画・アニメというのは表現力にすごく差が出る。
最も、この漫画はその点でエロを空想させるのも、質感を表現するのも上手い。

だからこそ、漫画オタクの名に責任とプライドを持ってこの漫画を推薦するのだ!!

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本日のバナーですか?なんかエロスを感じたので、これにしました。

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これが「目」で語る戦いだ
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