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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

マイバックページ

映画の話

全日本を震撼させた糞映画の被害に遭う悲しい犠牲者を減らすために映画の話をしていきたいと思います。

マイ・バック・ページ - ある60年代の物語

マイ・バック・ページ - ある60年代の物語


映画の話というよりはシナリオの基本といいますか…メディアの違いを理解した作品の売り出し方といいますか…そういう側面も併せ持った記事になると思います。主な内容は以下のとおりです。

映画にふさわしいストーリー展開や世界観設定〜小説でもいい映画、映画じゃないといけない映画〜
スターを出すことの弊害〜同じ人間がこの世に二人いないように、はまり役がいくつもある役者はいない〜
主人公理論・悪役理論〜良い映画には共感できる主人公と愛される悪役を〜
映画に於ける時間の使い方〜テンポが早めで騒がしいぐらいの方が映画は面白い。〜

まぁ、アニメ・マンガオタクでかつちょっとだけ自分で小説書く人間として、色々と考えちゃうことをつらつらと書いていていきたいと思います。長くなりそうな部分は注釈にしてありますので、詳しく読みたい人は注釈も読んでください。より雑学と深い理解が得られますよ。

  • メディアの違いを理解せよ!!

『人気漫画のアニメ化がヒットしない』『あるライトノベルを漫画化したけど、安っぽいイメージになってしまった。』というメディアを変えた途端にその作品が輝きを失うという事はアニメ・マンガの世界ではよくある話なのです。

マイバックページという映画はまさにそういう映画でした。
元ネタは筆者の実話を綴ったドキュメンタリーに近い内容で、映画のオチというよりは読み物向けのオチが用意されている映画です。

原作者のためにフォローをさせていただくと、もしも、映画化するならば妻夫木さんのような人気のある派手な俳優さんではなく、もっとマイナーで渋い人を使ったドキュメンタリーにするべきでした。
しかし、配給会社や制作サイドの人間はなぜか戦慄な雰囲気煽った学生運動安保闘争の映画で、自衛隊を殺した男に危険を冒して取材をしに行った記者』というすご〜く格好いい映画に予告では仕立て上げたのですが、これがかえって裏目に出ました

メディアの特性とそのメディアにふさわしい作品の例をいくつか挙げていきたい。

小説は小さいけど、オチや心理描写に意外性がある作品こそがふさわしい。純文学と呼ばれる話は登場人物が少なく、ユーモアにこそ富んでいるが、映像化して面白そうな作品というのはあまりない。*1

漫画ならば、コマ割りやギャグ・キャラクターの感情表現によって読み手のテンポが変わる。しかし、これをアニメやドラマに原作通りに持ち込むとテンポが遅く感じたり、わざとらしさが残ってしまうため、あまりおすすめできない。*2

アニメなら動き・声・質感ですね。個人的には動きで魅せるシーンが増えることから戦闘シーンがあるSFモノのアニメが好きなのです。しかし、『アニメ絵は萌える』という概念をJ.C.STAFF京都アニメーションなどが作ってからは動きで見せるアニメのみならず、カワイイ女の子がアニメの質感あるイラストで書かれる事が素晴らしいという新しい文化もできています。もう一つはアニメは声を当てられるため、声優という可愛い声をだす訓練を受けた人がえがうまい人が書いた可愛い女の子を演じる事も、萌えるアニメのヒットの原因のひとつになっています。


  • コンテンツビジネスにもマーケティングは必要。

経済学風に言うと『販売促進の方法・広告の方法・商品の性質を生かした経営』と言うものが出来ていないのですね。*3

音楽・映画などのエンターテイメント業界は安直に『こういう美男美女のスターを出せば、これだけの売上が上がる』と考えてコンテンツの本質を無視したキャスティングや売り込みをするから、簡単に赤字を出す。
スターを出すことにも弊害はある。例えば、有名な例として『この人の顔を見るとサウンドオブミュージックしか思い浮かばない』というほかの作品のイメージを引きずって興行成績を伸ばせず、映画から退かざるを得なくなった人もいる。妻夫木はウォーターボーイズ、松山はデスノートでそれぞれがすごいはまり役を見出してしまったがために、どの映画見てもその時のみずみずしいフレッシュなイメージと比べると見劣りして感じてしまうという視聴者は僕だけではないはずだ。

だから、映画にスターを使うということは役者のイメージにあった作品で使わないといけないが、松山ケンイチについて言えば、Lで有名になった人にしてはとてつもなくカリスマ性を失った小物な役になってしまったため、見ていて残念だった。妻夫木に関しても『好青年』のイメージが『青臭い馬鹿』というふうに塗り替えられていて、彼の良さを出し切れていない映画の仕上がりになってしまった。

ドキュメンタリーや回顧録に近い原作からすれば、役者はもっと影の薄い人でいい。その人を見てもあまり出演作品がいめーじできないような人のほうがいい。そこが理解されていない、あるいはそういう役者をリサーチできていないから映画としての出来上がりがあまりよくないのだ。

  • アカギとカイジから見る主人公理論・悪役理論

福本伸行という漫画家をご存知だろうか?私は彼の書く漫画の主人公と悪役が好きだ!!
彼は絵が漫画家とは思えないほど下手なので、ほとんど女性キャラがいない。キャラクターのデザインも酷似しているキャラクターが作品をまたがって違う名前で出ていることが多い。しかし、読者を引き込む心理描写やトリックを考える達人である。
私は彼の代表作である『アカギ』と『カイジ』の各々の主人公『赤城シゲル』と『伊藤カイジ』の二人こそが主人公の分かりやすいお手本だと思う。

・アカギはドライで命知らずな天才肌。読者を魅了し続けるカリスマ性の持ち主で、共感というよりも視聴者の憧れの的となる。人に好かれる性格ではないが、彼の能力・才能・強運が周りの人を魅了して止まない。

・カイジはその反対。人を突き落としたり、一人勝ちすることを嫌う運の悪いお人好しなギャンブラー。安直な行動から自らピンチを招くが、そのピンチを同じ境遇の人間をも巻き込んで一緒に逆転してしまう。ピンチになった途端に計算高く、頭が回るキャラになっていく親近感が湧きやすいキャラ。

しかし、マイバックページの沢田という主人公はこの『カイジ型』のダメな部分だけを取るため、親近感がさっぱりわかない。ダメな人間の典型というか、その人がひどい目にあっても少しも同情がわかないようなそういうキャラクター。

悪役についても、福本作品は素晴らしいが、これは余りにもたくさんいるので簡単な共通点だけ。
悪役は主役にも増して必死になって勝利をもぎ取りに来る。プライドや財産や職を賭してギャンブルに挑むからこそそういう必死さがあるが、必死になる理由が見苦しすぎて視聴者の反感を見事に買い、主人公を応援するいい起爆剤になる。

マイバックページの梅山というキャラの場合は悪役にしては余りにも安直だった。学生運動家としても殺人犯としても安直で必死さのないキャラなので、見ていて『なんでこんな奴の話を映画にした?あるいはみんなこいつの話を信じる?』と思いながら見る羽目になりました。

  • 映画に於ける時間の使い方の鉄則!!

これは色々と異論があると思いますが、私は宮崎アニメか押井守作品の時間の使い方が好きです。

宮崎作品は起承転結。『転』に当たる部分までは加速してどんどん内容や演出を派手にしていくのですが、『結』まで運ぶと映画全体が余韻を持ってなだらかに流れます。説明や設定は『承』に当たるパートに詰め込むことで、後半は動きのあるアニメーションを頭を空にして楽しむことができます。しかし、この手法の弱点はストーリーや話の流れがざっくりとしているため、見返したときに発見することは声優の演技に関することが多く、映像面の発見はすくないです。

押井守作品の場合は序破急の三部構成に近いです。『序』では映像美が中心、『破』はストーリーの急展開が中心で、『急』はアクションとキャラクター個人の話が中心に来ます。なんども見直して楽しめるように、設定や世界観は小出しにしていきます。『序』の部分で重要な世界観が出ている事が意外にも多く、DVDを買ってでも見返すだけの価値がある作品が多い一方、『序』の部分が退屈で眠ってしまう視聴者が多く、初見殺しになりがちなことです。

これは実写でもこういうテクニックはあり、一般的にはどこの映画でも宮崎作品と同じく、起承転結になっている作品の方が多いです。特に邦画の場合は9割以上は起承転結です。しかし、押井作品は欧米で人気があることから、押井作品の手法を押井守よりも簡単で視聴者にわかりやすくした形で取り入れた欧米の監督を見かけることもあります。そのときは感動を覚えました。*4


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著者:青山真治
価格:3,675円(税込、送料込)

*1:例えば、芥川龍之介作品は空想が入った世界観が多いため、映像化しても映えるかもしれないが、太宰治作品を映像化してもどの話も同じように見えて、あまり個性がでなくなってしまう。

*2:好例は『それでも町は廻っている』『日常』という作品のアニメ化だが、アニメこそ人気はないが、漫画の人気はすごく高かい。ギャグや普段のシーンがマンガだから面白い表現を原作に忠実に行なった結果視聴者を置いてきぼりにした理解不能な作品になってしまった。視聴者のペースでセリフや文脈をイメージできる漫画とことなり、どこかに決めてそのテンポを表現しないといけないアニメにはずいぶんと不利なのだ。ドラマにおいては『のだめカンタービレ』という作品が好例で、非常に演出がオーバーで見ている方が恥ずかしくなりそうなアホの子をそのまま演じないといけないヒロインが見ていて痛々しかった。そういう作品であることは間違いないのだが、実写には実写の見せ方というか、実写ならこうしたほうがいいという補正が加えられないため、違和感だらけでした。

*3:例えば、松下幸之助の提案する在庫や資金に余裕を持たせて生産・販売などを計画する『ダム経営』という発想を生鮮食品にそのまま持ち込んではいけない。生産しても売り手さえ付けば、何年先でも売れる機械は多めに作っても売れるが、生鮮食品を多めに揃えるとなると在庫がそのまま赤字になってしまうから、もしも小売業に『ダム経営』をするならば、それ相応の設備や食品の期限が迫った際にお惣菜や冷凍品に売り方を買えるための準備をしておかないと、ダム経営なんかやってもモノを売った数だけの赤字が出る。

*4:マイレージマイライフという映画は押井作品とテンポが近いです。はじめは演技や変わったキャラクターの生活スタイルを楽しみ、中盤は周りのキャラのストーリーを完結させ、最後は主役自身のストーリーで完結するが、はじめイメージしたモノとは全然違うオチを用意する。世界観の設定は序盤に出されているようで、後から小出しで付け加えが多く入ることから、手の込んだ映画だといえます。