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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

大木家の楽しい旅行 新婚疑獄編(オマケ話もあるよ〜)

映画の話

久々に面白い邦画に出会えたので、その話をします。原作は本です。

大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇 (幻冬舎文庫)

大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇 (幻冬舎文庫)

  • あらすじ

あ、ありのまま起こった事を話すぜ。
新婚旅行に出かけていない夫婦がスーパーでもらったパンフレットと盗まれた炊飯ジャーを取り返すために、新婚旅行も兼ねて地獄旅行に出かけるんだ。…何の事を言っているか自分でもサッパリわからねぇ。
ビーフシチュー風呂とか、地獄アマエビとかそんなチャチなもんじゃねぇ!
もっと恐ろしい物の片鱗を味わったぜ〜

…まぁ、そういうお話です。(見たら、僕の言っているワードがなんだかわかるはずです。)

  • 深い世界観とシュールが一体化した作品

ギャグモノだけは邦画のほうが面白い。邦画の面白さは『テレビや小説の中にある細かなギャグ』です。笑いのツボや文化の違いからギャップを感じずに済む事で肩の力を抜いて見られる。(白人の国の映画はやり過ぎてしまって笑っていいのかないていいのかわからないときがある。韓流については笑いのつぼが共有できない。)

この映画は肩の力が抜け切っていているから、笑いながら見る事ができる。

この映画の場合もあらすじ通り『地獄』に行くといっているが、実際のところはギャグ満載で割と地獄と人間には交流がある設定になっている。(地獄の人が観光のご案内をするぐらいに。)

本筋がばれない範囲でネタバレをすると、実は日本円は地獄でも使えます。(物価水準が異なりますが。)
さらに、世界的家庭用○○○の日本企業は地獄にも商品を卸しています。(日本企業凄いわ〜)

こういうネタって日本人以外だとなかなか共有できない。具体的に『五反田』という地名を出てきたときに『近所だよ!!』と頭の中で思いながら見ました。(五反田の近所といってもいっぱいありますけど、五反田でスーパーと言われた時には『五反田駅付近の東急ストアー各種が入ったビルが元ネタ?』と思いながら干渉しました。)

ギャグだけではなく、エンディングも当初の目的をあまり達成しない(代わりに予想外のモノを得る)というビターエンドで、それでいて余韻が残る作品。

あっという間に時間が好き行くようなスピード感と下ネタやエログロネタ以外で笑わせる高いギャグセンス、新しいのにどこかで出会ったことのある懐かしくも悲しい不思議な感覚を併せ持った映画です。

私が映画を見て『原作を読みたい』と思う事は稀なのですが、この作品については読みたいです。もし、この土日に映画を見に行く方が私のブログを読んだなら、カップルでもこの映画は見られるので、是非ともオススメしたい。

いや、カップルか夫婦で映画を見に行く人にこそオススメしたい。

  • 現実の恋愛には色気がない。

意外に思われる方もいらっしゃると思いますが、人間と言うのは『近づけば近づくほどお互いの関係が倦怠して行く。』という理論を私の父が打ち出しました。父の『60%理論』というのは夫婦の好感度や情報共有の理想は
60%が適切であると言う物で、夫婦だから秘密を共有したり、毎日一緒にいる事は夫婦生活にとっては有害な物であると力説している。

大木家と言うはその典型例で長い付き合いを経て、同棲を始めた関係としては凄く怠惰になってしまっている。
私は自分の家庭を見ているようなそういう感じから笑いがこみ上げてきたが、恋人や家内・旦那がいる人にとっては深刻な問題だ。

お互いの趣味や価値観が段々と暑苦しく、新しさも感じない迷惑な欠点のように移ってくる。
それがこの作品の深みの一つではないだろうか?邦画もアニメも艶々(ツヤツヤ)の若者ばかりを取り上げたがる傾向があるが、この作品は違う。若い人が主役ではあるが、ツヤがない。むしろ、脱力仕切っているからこそ『こういう人居ると思ったら私の旦那だった』なんて話になっていてそれがシュールな笑いを助長する形になっていく。(100%一致しきるキャラクターは作らない繊細なさじ加減がこの作品のいいところ)

そこで、父が『子どもを作れば、子供が相方からの興味を適度に逸らす役割を持つ。(その意味では私は被害者なのだけど。)、互いに違う趣味を持てば、趣味に没頭する事で家庭から距離を置く事も近づく事もでき、常に互いの関係に目新しさができる。(だから父は多趣味。)これが夫婦生活というマラソンを乗り切るコツだ』そうです。

ちなみに、大木家の夫もこれについては近い発想に至るような余韻を残して映画を終えていった感じが僕にはあります。(独特の趣味を持っているし、元々サバサバした人なので。)

  • おまけ・アンチハッピーエンドの理由

ここからはオマケです。自分なりに映画について語るパートです。

バットエンド・ビターエンドを各映画が少なく、映画が現実と乖離した浮いた監事の作品になりがち
困難な状態から全てを勝ち取る。そういうエンディングが人生の中にどれだけありますか?子どものころならまだしも、大人になるにつれてないです。

ハッピーエンドになれば、そのことをすべて忘れて、元気だけで明日からがんばっていけるでしょう。しかし、人間は生きている限り人生が連続して、次の事に向かって行くために過去の事が関連し続けます。映画というのはそういう後に残る展開を連想・妄想・彷彿させるようなものこそが一流なのです。ビターエンドにはそういう余白がある。
その点はアニメには押井守作品からスタジオジブリまで一貫して『アフターストーリー』が連想させられる余韻があるが、邦画の場合はハッピーエンドとして、仕事や絆をすべて仲直りして、映画開始前の問題を全て解決してしまう。…コレでは『よかったね』の一言で見終える安直な作品になってしまう。

よく見てもらえばわかるがジブリは問題解決した後にグチャグチャになった町が残っているケース、根本的な問題がまだ解決していないケースがある。(ナウシカ、もののけ姫アリエッティーなど)→そういう部分から様々な連想ができるところが面白い。ジブリとは思えないバットエンドになるからソレを回避するためにわざと打ち切ったと言うような考え方だって実はできる。(解釈とはそういうものです。)

邦画の中でも『告白』という映画は全部を出し切らず、敢えてエンドの部分をぼやかすような事をしたため、そこが映画の評価を上げる一員になったと私は考えている。(さまざまな人の目線からグッドともバッドとも取れるような要素を織り交ぜ、決定的な瞬間を入れない事でわざと余韻を残している。)

最も典型的な例はエヴァンゲリオンで、あれは劇場版もテレビ版も実はエンディングとしてはかなり曖昧でわかりにくい。『具体的にどうなったの?』と言う事を解決せず、そういう手打ちの部分をなくすことで作品に様々な解釈ができる余白が残っている。そのため、エヴァに関する二次創作やキャラクターに関して様々な解釈をする本が多数出版された。

こういう映画・映像作品がもっと増えてほしいなぁ…。
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