読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

いざ、被災地に乗り込まん!!


明日は予告していた通り被災地に行ってきますが、その詳細について色々まとめている事をお話したい。



言ってくるところは今電車で行ける駅の中でも最も奥地の『四ツ倉』と言う駅です。
色々調べたのですが、いわきの駅がある『平』といういわき市の中心部から海沿いまで行くのに、1時間ぐらいかかるのです。(グーグルのデータです。)


不謹慎のそしりを受けようとも私が見たいのは『津波に飲み込まれた地区』です。
静まり返った町は東京の自粛ムードでいやと言うほど体験していますので、何も珍しくないです。


下見も兼ねてグーグルアースでその四ツ倉のデータを見てみましたが、やっぱり酷いです。
酷い事を『取材しに行く甲斐がある』と期待してはいけないのですが、『酷い物を見に行くんだ。それをありのまま多くの人に伝え、あるいはそこに人がいようものならその人の声を届けるんだ。』というのが意気込みです。

雑誌で買えば600円ぐらいでそういう写真が買えるが、それじゃダメだ。

もっとお金さえあれば、仙台や岩手の酷いところも見に行きたい。記者気取りとかそういう事ではなく、自分自身が見たい。自然の驚異を、経済大国の息の根を止めるほど惨事を、テレビの中で言っている人がどの程度本当でどの程度嘘、あるいは言い切れていない事なのか。

  • ボランティアで行かない理由

社会人と違って、GWが終われば就活も大学も本格化する。と言うのが主な理由だが、それで興味本位で乗り込む事に意を呈する人間に言いたい。

ボランティアと言うのは行動規範として矛盾している。もっと詳しく言えば、『経済や信用によってあらゆる人・モノ・金』が動く世の中でボランティアの存在を不確定要素ではなく、『居て当たり前の物、政府・自治体が管理する物』という発想がおかしい

『ただ働きでがんばる』という熱意がある人が来たとしても、それが食事・睡眠・衛生・健康管理まですべて自己完結でできる人間でなければ、それをボランティア先で用意するので、純粋な意味でのボランティアではない。正確な言い方をすると『安働き』であり、被災地で働いたと言う使命感と寝床や飯をもらえる事で働くと言うある意味では立派な取引だ。


私は大学生に『ボランティアの単位をやるから被災地に行け』と言った文部科学省には抗議申し上げたい!

被災地にやる気があるかも怪しく、手際もわからない人手が行けば、それを養う手間がかかる。
大した援助もせずに、あるいは被災者の気持ちを汲み取った配慮もなく、ただボランティアを出せと言う事自体がちゃんちゃらおかしい!!滑稽千万なり!!

  • 就活で聞いていて腹が立つワード『社会貢献』

企業や人事担当者がどの程度このワードが好きかは知らない。しかし、大学での就職セミナーや学生の口からはこの言葉が溢れてくると、胸焼けを起こしそうになる。

純粋な社会貢献などありえないからだ。利益度外視でやった事でもそれで保たれる面目や信用のための必要な出費であって、あくまでも企業活動の一環だ。
エコだとかCSRだとか色々と大企業が義務感をもってやっている事には感心するが、それが宣伝になるからだ。あるいは、マイナスのネガティブキャンペーンから企業を守る事になるからやっているに過ぎない。

それをわかった上で『社会貢献』と言うワードを声高に叫ぶ事は白々しいし、わかっていないとすれば、そういう人は内定をとっても離職するかその人の持ち味を失う事になる。


私が会社を見る上での哲学は『社員を守れない会社が社会を良くできるわけがない。半径5メートルの中に自分を評価してくれる人が居ない人が社会にでて評価されるわけがない。』と思っています。



だから、私自身がやりたい事をやらせてくれる会社に行きたいし、やりたい事をやらせて伸ばす会社を応援したり、作ったりする人間になって行きたいと思ってます。

私が組織の中で中枢に居た組織はみんなが笑います。なぜなら基本部分以外は一つに統一せず、個々のやり方を尊重するからです。基礎だけをきっちり押さえて、後はみんなで楽しくやります。

私が被災地に行くのも『あらゆる事件・イベントの現場を見ることが好きだから』『地震の記事を書く身としてもっと踏み込んだ事を知りたいから』行くのであって、野次馬上等です。野次馬だから交通費と取材用具以外持っていきません。

だからこそ、仕送り分のわずかなお金を切り詰めてでも『やりたい』と言って乗り込んでいけるのです。*1

ブログランキング・にほんブログ村へ

*1:ちなみに、親にも内緒で乗り込んでいって今度あったときに父にだけこっそり言う事にしています。